うさぎのラテタイム

夫の転勤で長野県に住む40代の主婦が、2人暮らしの生活や思いを綴ります。皆さんのホッとひと息つける時間のお供になれますように★

東日本大震災から10年、あの時を振り返って

今日3月11日は、東日本大震災からちょうど10年ですね。

亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

まだ行方不明の方も、どうか一日も早く見つかりますように。

 

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私はあの日、東京のオフィスで働いていました。

人生であんなに大きな地震は初めてで、必死に机の中に隠れていたのを覚えています。

揺れが収まると、だんだん東北の方が大地震で、都内の交通も大変なことになっていることがわかってきました。

 

私は関東のベッドタウンに住んでいたので帰れなくなり、会社の方のお家に泊めてもらいました。

 

ご家族にも迷惑がかかるのに、あんな日に私を泊めてくれた会社の方には、今でも本当に感謝しています。  

 

あの日一緒に歩いた都内の道路、一緒にテレビで見た津波の映像、夜中ときどき余震で揺れたこと、朝のコーヒー、生涯忘れないと思います。 

 

 

 

震災の後、しばらく飲料水が不足したのを覚えています。

あの頃、結婚した姉が実家の近くに住んでいて(私も実家に住んでいたんですけどね。)姉の一番下の子が0歳で、ミルクの水が無くなったら大変だということになりました。(赤ちゃんのミルクの水は水道水じゃだめだと姉が言っていたように思います。)

私は会社が始まる前とか、昼休みとかに、お水を売っている自動販売機を探して歩き回りました。(コンビニも常に品薄だったと思います。)

あの時はほんと売り切れが多かった…。

 

 

 

あんな震災の後でも、みんな必死で会社に行こうとしていましたね。

電車もしばらくは大幅に本数が減っていました。

みんな少ない電車に乗ろうとして本当にすし詰めだったなぁ。

 

今はテレワークなんていうものができたけれど、あの時はみんな、あんなにも会社に行こうとしていたんだなぁ。

 

電車も途中でしょっちゅう止まったし、あの頃はまだみんな結構ガラケーで、電車の中で一斉に地震警報がウインウイン鳴っていました。

電車の中で閉じ込められている時に、あの一斉になる警報音が怖かったです。

 

 

 

震災の頃に、テレビで一般の若い女性がインタビューに答えていたのですが、

「よく、やるべきことがあるから生かされたっていう言い方をするけれど、亡くなった人にもやるべきことはあったと思う。」

というようなことを言っていました。

本当にその通りだなと思いました。

 

 

 

私が経験したようなことは、東北で被災された方達に比べたら、本当にたいしたことなさすぎることだと思います。

 

それでもあの震災は、たしかに私の人生観を変えたと思います。

 

思いもかけないことが急に起きて、人生って突然終わってしまうこともあるかもしれないんだ。

今生きてるうちに、やりたいことをどんどんやっておかないと、時間ないかもしれないんだ。

 

将来の備えも大事だけれど、今を生きる、今を楽しむことの大切さを知ったように思います。

 

あの震災の後、私は一人暮らしを始めたし、気になっていた習い事を始めたりもしました。

 

あの時感じた「今やっておかないと」という気持ちは、あれから10年たって少し薄れてきたように思います。

 

今日10年目の節目を迎えて、

あぁ、今を生きないとな

と改めて思います。

 

 

震災後一年間は、毎月お給料日の後に、1000円だけですけど寄付の振込をしていました。

(リーマンショック後、会社が結構苦しくて、ボーナスもなくてお給料も一部カットになっていた時期だったので、それくらいの額しかできなかったです。)

 

今はコロナのこともあって、被災者じゃなくても色々大変な人が多くなっているいると思います。

そういう人のことを忘れずに気持ちを寄せて行けたらいいなと思います。

 

震災から10年の今日思うことを、つらつら書いてしまいました。

最後までお読み下さいましてありがとうございました。

 

 

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