夫の転勤があり、長野県に引っ越して2年余りになります。
長野県に来てから車で移動することが多くなり、高速道路もよく使います。
(運転は夫ですけどね。まだ私、高速運転できないので。(^-^;)
高速道路で車に長時間乗っていると、最近決まってある人を思い出します。
私達姉妹が「中野のおじさん」と呼んでいた祖父の弟です。
でも日本語って、祖父の弟を呼ぶ呼び方ってないですよね?
だから、みんなおじさんになっちゃうんですけど。笑
東京の中野に一時期住んでいたので「中野のおじさん」、そう呼んでいました。
私と姉が小学生の頃、夏休みによく中野のおじさんの車で、関東から3人で高速に乗って、山陰にある祖父母の家へ帰っていました。
長い夏休み、父母より長く祖父母の家で過ごす為に、おじさんの車に乗せてもらっていたのです。
おじさんの方も田舎に帰る用事があったのでちょうどよかったみたいです。
おじさんは、当時50代くらいだったのではないかと思います。
祖父の年の離れた一番下の弟でした。
おじさんは明るくてきさくで面白い人だったので、子供とのつきあいも上手かったと思います。
おじさんの子供の頃のわんぱくネタを聞いたり、ラジオから流れる甲子園中継のことで盛り上がったり、演歌みたいなのを教えてくれて、車の中で練習したこともありました。
「なんの~いんが~で~え、かいがらこ~ぎ~いな~、ろ~うた~、かわいやの~う、かわいやの~♪」
なんてフレーズでしたね。
ずっと忘れないのが不思議です。
いまだにこれが何の歌かわからないけれど、私は下手だったけど、姉はなかなか上手くて褒められていたのを憶えています。
(そういえば、歌が上手かったおじさんは、姉の結婚式で歌を歌ったんだっけ。)
私が車の中でチョコレートを食べて、両手にべっとりチョコレートがついちゃって、おじさんが
「まて、つけるなよ。つけるなよ。」
って車のシートにつけるんじゃないかってビビっていたのも思い出します。
岡山あたりで人形峠を越える時に、真っ暗な中、クネクネした山道を通って遊園地の遊具みたいに車が左右にゆれて楽しかったこと。
「この辺は水がきれいだから、蛍がいるんだぞ~。」
って言っていたなぁ、とか。
高速道路で助手席に乗ってボーっと道路を見ていると、ふとそんなことを次から次へと思い出します。
私の祖父母家族が、戦後東京にいた時に、祖父が病気で働けなくなった時期、おじさんがお給料を全部入れてくれて、しばらく祖父一家を助けてくれていたらしいという話も大きくなってから母に聞きました。
そんなこともあって、5年くらい前に亡くなったこのおじさんのことを思い出すと、懐かしさと、感謝でちょっと涙が出そうになります。
私も死んじゃっても、誰かが時々は思い出してくれるかなぁ。
時々、思い出してくれるような生き方が、この先できたらいいなぁ。
ん?ちょっと違う気がする。
それよりは、思い出してくれた時に、少しでもその人の生きる力になれるような生き方ができたら自分が生きた甲斐があるなぁ。
なんだか考えてるうちに、思い出す人にとってはちょっと面倒くさい野望を抱いてしまいまったみたいです。笑
おじさん、ありがとう!
今週のお題「わたしと乗り物」
おじさんの車に乗って田舎に帰っていた頃の夏の思い出でした。
お読みいただきありがとうございました。
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